去年の3月は、お世話になった人たちを見送る月だった。
こちらに来てからの生活のセットアップや実験環境の立ち上げがスムーズにいったのは強力な助っ人がいたからで、渡航半年経った去年の今頃に立て続けに帰国することになった彼らを見送る時、無性に心細くなったのを覚えている。元同僚でもあったそのうちのひとりが最後の晩餐で、
「日本人研究者の力を示してください」
と言ってくれて、その言葉は良くも悪くも単調な研究の日々に、背中を押してくれる力になった。トップ研究者からすると質も量も全然大したことないだろうが、少なくとも自分の得意とする分野でだけはある程度のものを示せたのではないかと思っている。とはいえ、ラボで日本語を話せるというのはありがたいことだったのだと、その後の1年間で痛感することとなるのだが。
1年が経ち、今年もまた別れのシーズンになった。4月が年度の初めである日本の暦と、9月が区切りであるこちらとは少し違っていて、こちらは日本ほど就職や異動のタイミングが学期とリンクしていないので、9月一日に特段多くて8月末が別れの季節、というわけではなさそう。それは措いておいて、同じ研究所でリサーチをしている仲間や、ご近所でお世話になった駐在員の方などもこの3月で帰国されることになり、しばらくは送別会ラッシュが続きそうだ。それが終わると春が来て、あっという間に自分が送別される季節になる。
送別といえば、ラボにいた中国人の同僚がいつの間にかいなくなった。おそらくラボを移ったのだと思われる。こないだ共著で書いた論文も後半はほとんど自分のデータだったし、彼自身のテーマでも結果があまり出ていなかったので、契約延長がなされなかったのだろうか。そういえば数か月前から就職活動のようなことをしていた気がするが、何も告げずに去るとはドライだなぁ。
日本に限らずどこの国も研究を取り巻く経済状況は困難になってきていて、別のラボでも2人クビになったという話を聞いた。自分の場合は元同僚のヘルプやたくさんの幸運もあって結果が出ていたので、昇給の交渉も無事に終わったところであったのだが*1、本当にシビアな世界だと痛感する。
わりと有名な研究室のポスドクの方に「そちらの研究室,みんなすごい仕事されてますよねー」と言ったら,「一生懸命解析したけど表に出ない遺伝子がたくさんあって,それと同じ数の討ち死にした院生やポスドクがいるんです」と返されたので,「なるほど……」という言葉しか出ませんでした。
— えすえすマフラー作戰 (@ssmufler) 2016年3月10日
こんなツイートがTLに流れてきてて、思わず反応してしまった。生命科学の分野は不確実性に満ちていて、神か誰かの気まぐれで一部の研究者に幸運が降りてくるようなところがある。それを掴むための努力が必要なことは言うまでもないが、努力が必ず報われるわけではない。大学院時代を思い返しても、無事に論文として研究をまとめることができたのも一握りだった。研究というのは無数の院生やポスドクの死骸の上にピースを積み上げていく営みのことだ。そして砂漠のオアシスたる研究費は年々縮小していっている。
帰国してからも研究を続ける予定だが、元同僚や今のボスもライバルになりかねない世界で *2、どうにかして一旗揚げて何かを残したいと思う。