Beyond the Silence

Sound of Science

限界まで努力できる才能

こんなTweetが流れてきた。

 

毎日コツコツと努力することの重要性は誰もが知っている。こうやって数字に現れると、無為に過ごしてきた日々を後悔してしまう。

 

隠れファンをやっているLittle Gree Monsterの「いつかこの涙が」という歌の中に、

「限界まで努力できる才能だけ ずっと胸の奥で信じてた」

という歌詞があるのだが、

 


いつかこの涙が Little Glee Monster 生披露 全国高校サッカー選手権 決勝

 

最近、自分に最も足りないものはこの「努力する才能」なのではないかという気がしている。

 

能力が足りないのではなく、努力だけが足りないのだと思い込んでいたが、努力できる性格や能力も含めて才能であり、それなしではどんな閃きや回転の速さも武器にはならない。

高いCPU性能と努力できる才能の両方を持っている人間が今の職場では周りに何人もいて、だからこそ一緒に成長できた部分もあったのだが、自分はちょっと別の方向を目指そうかなという気持ちになっている。

 

いわゆる、「上を目指す」という選択肢も、若い頃にはあった。

自分の興味のある研究を突き詰めることによって同じ障害に悩む人々に新しい治療法をもたらしたい夢もあった。

研究分野では内耳発生の教科書1行分くらいの貢献はしてきたつもりであるが、色々なものを犠牲にしないとこれ以上の成果は得られない気がしている。

 

多分40年くらいこの道で働くにあたり、ちょうど真ん中が折り返し地点だとすると、もうすぐそこにさしかかる。若い時には全てをそこに捧げ、がむしゃらに頑張らねばならない時が誰にでもある。しかし、仕事人としての第2の人生では、自分の本当の能力、伸びしろ、性格、環境など全てを考慮し、きっと間違っていないと思える選択肢を選ぼうと思っている。

 

デコ補聴器!

このブログのタイトルは「Beyond the Silence」。

当時65dBの感音難聴だった自分が初めて補聴器というものに触れたときの感覚を表している。

それを共有したくてこの仕事をしていると言っても過言ではない。

 

皆さんは、補聴器にどのようなイメージをお持ちだろうか。

「老化」

「諦め」

「障害者」

といった印象を実に多くの人が持っているのを、自分の倍近い年齢の、自分よりも聴力の少しだけ良い人達を相手にしていて感じる。

 

眼鏡はどうだろう。

昔はネガティブなイメージしかなかったかもしれないが、いつからかオシャレアイテムの一つに成り上がった。

補聴器もそうなれないかな。

 

 

Twitterで交流させて頂いている、ある補聴器店の方が、素晴らしい取り組みをしている。

「デコ補聴器」だ。高じて「デコ人工内耳」まで登場している。

 

 

耳鼻咽喉科学会が耳の日に市民イベントをやるよりも、こういうネットワークを駆使したmovementが広がっていくことに未来がありそう。

とくに小児。難聴児とその保護者に広くリーチすれば、面白いことになりそうである。