Beyond the Silence

Sound of Science

研究留学スタート

2014年夏の終わり、長年の夢であった研究留学がスタートした。

本来ならばリアルタイムで記事を書いておくべきだったのだが、いろいろな所に少しずつ書き散らしていたのでそれで”書きたい欲”は発散されてしまっていた。が、やはり人生の記録として残したいという思いが高まったので、ここに少しずつ残していこうと思う。この記事は1年以上経って当時を振り返りながら書いている。

 

留学先探しは、大学院の4年目から始めた。当時は「留学できたらいいな〜」程度の淡い願望だったけれど、同期が留学したり研究が面白くなったりして、いつしか本格的な目標になった。誰もが通る道だと思うが、最初はNatureやCellに論文を出しているアメリカの有名ラボにアプライした。募集もしていないのにPI (ラボのボス)に、自分の履歴 (CV)とやりたい研究内容を書いたメールを送った。

「今は人を募集していない」

「うちでは君の希望する研究はできないかも」

「研究内容を変えることにしたので君とはマッチしない」

などの返事が届いた。この世界、今ならわかるけれどもポスドク (博士研究員、いわば奴隷)の就職はコネが最も大事である。返事すらしないボスもいるらしいので、なんだか自分がスタートラインに立てたような気がして変な高揚感があった。

 

転機は、2013年の冬にアメリカで開催された国際学会。演題を出して発表した。自身3度目の国際学会、英語は中学時代のトラウマがあって全然勉強してこなかったので散々だったが、自分のデータは何とか説明することができた。そこで3人のPIが自分の研究に興味を持ってくれ、帰国後同時進行でポスドクの話を進めた (数件の就職活動を同時進行することも普通)。1か所は条件があわず、1か所は研究所がリーマンショックのあおりを受けて倒産 (そんなこともある!)、Natureに論文を出したラボからは来ても良いと連絡をもらっていた。

そうこうしているうちに研究を通じて付き合いのあった他大学の (その分野では名の知られた)先生から、自分の元同僚がポスドクを探していて君の研究に非常に興味を持っている、という連絡を受けた。2012年にPublishされたその論文は、自分の学位論文にもなった大学院時代の集大成であったが、ある技術に関しては高いレベルでまとめていた。今のラボのボスがそれをみて是非来てほしいという感じで複数のconnection経由で話をもらい、Natureのラボと最後まで迷って、

「自分の得意分野で勝負する」

という以前からのポリシーと、ラボのある都市の住環境を考慮して今のラボに行くことを決めた。

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追記

数年前から書いていた別ブログと統合したため時系列が乱れています。