Beyond the Silence

Sound of Science

死の尊厳と医療知識による断絶について

トイアンナさんのブログを読んで、母が亡くなった時のことを思い出した。

toianna.hatenablog.com

 

医療従事者、特に医師と看護師は、死というものが日常にある。慣れというと語弊があるし、懸命に治療してきた患者を失うのが非常に辛いことは、医師になって何年経っても変わらないのだが、問題は自分の家族がその当事者になった時。知識や経験があるので、非医療者である家族よりもずいぶん先に、死期を悟ることになりがちだ。

 

母は自分が物心ついた頃から慢性疾患で入退院を繰り返していた。自分が大学に入った年に壊疽で左脚を切断して車椅子になったが、そのような身体で受験勉強の夜食を作ってくれていたのをよく思い出す。その母が、自分が医師になって4年目の冬に倒れた。診断は骨折による脂肪塞栓。折れた骨から流出した脂肪分などにより*1脂質代謝が乱れ、全身の毛細血管で塞栓を起こす稀な病気だ*2。脳の血管もほぼ全て詰まってしまい、いわゆる植物状態になることがあり、母もそれに近い感じで意思疎通は全く取れなくなってしまった。2週間後の脳波検査で平坦な脳波をみたときが、自分の中では母の命日になった。

 

自分側の親戚一同には誰も医療関係者がおらず、家族はただひたすら母の回復を祈り続けた。経管栄養と静脈注射で心臓が動いているだけの状態が1年弱続いて母は亡くなった。当然ながら、ひとりの息子として自分も母の回復を願ったが、一方でこれまでたくさんの死をみてきた医師としての目は、母の身体に起こっていることとその絶望的な予後を見通していて、ふたつの人格の間に心が挟まれた感じになっていた。そのジレンマは、医療従事者である自分と非医療者である家族との間にも生じたが、本当のこと (治る見込みはゼロであること)は言えなかった。

 

母は饒舌な人ではなかったから、誰もこういった場合のことについて深く話をしてこなかった。バタッと迷惑をかけずに死にたい、みたいなことを冗談っぽく言っていたらしいが、真意はわからなかった。尤も、骨折から2時間で (意識が)帰らぬ人になるとは誰も思わないだろうが。。看病する家族の姿を見ていて思ったのは、脳波が平坦になり医学的に回復の見込みがなくなった母に対して行われた医療行為は、家族が母の死を受け入れるための時間的猶予として必要だったのだ、ということだった。半年以上かけて、父と妹は母の死を受け入れていった。誰もが医療には感謝をしていた。死後の喪失期から立ち直るには長い年月を必要としたが、大きな問題が起こらなかったのはあの”準備期間”があったお陰だと思う。

 

医療漫画やドラマでもよくある光景に、延命治療の是非を家族間で話し合い「これ以上苦しませたくないので楽にしてあげてください」という家族の合意が得られた後に滅多に会わない親戚が登場、大どんでん返しで延命が決まって管だらけになる、というシーンがあり、実際よくある話だ。誰だって自分が死ぬときはなるべく苦しまずに楽に死にたいと思うが、それを左右するのは最も大切な誰かではなく、疎遠になっていた親類だったりするものだ。人の死に際して、誰もが自分と故人との関係において気持ちの整理をつける。感謝とか後悔とか負い目とか、言葉では表せない感情が、親戚の間での人間関係なども絡まって暴走する時があり、死にゆく人を置き去りにしてしまうことがある。そういう事態にならないよう、事前によくよく話をしておきたい*3

 

医師は訴訟リスクを遠ざけるために延命治療をせざるを得ないこと、死は敗北だと捉えられていることを知った。

愛する人を、死なせてあげられなかった。家族を看取る前に知ってほしいこと - トイアンナのぐだぐだ

 

これに関連して病院側の視点でみると、一刻の猶予もない救急外来で気が動転した状態の家族が延命開始の有無を決めざるをえない、という酷な状況で、延命をしない決断をするのは困難なケースが多い。一度延命処置を始めてしまうと、それを中断することは殺人として扱われるのでできないという事情があり (一度入れた人工呼吸器のスイッチは自発呼吸が戻らない限り切ることができない等)、訴訟対策というよりも法的な縛りで中断できないケースが多いのではないか。結果として、人工呼吸器と胃瘻でなかなか死ねずに生かされているというのが多発する。

 

米国で尊厳死が合法である州に移住して死亡した脳腫瘍の若い女性の例があったり、韓国で家族の要請により人工呼吸器を外した医師が殺人罪で起訴された例があったりして、近年国会でも取り上げられる動きがあるようだ。賛成意見・反対意見ともにその主張は理解できるもので (下記リンクなど)、本当に難しい問題ではあるけれどもきちんとした法整備が必要だと痛感する。いち医師としては、厳格な基準を設けた上での尊厳死を認めるのに賛成だが、それには家族や親族が死を受け入れるための時間や機会を医療側が尊重することが不可欠だと思う。

 

トップページ | 日本尊厳死協会

尊厳死の法制化を認めない市民の会

*1:メカニズムはわかっていない

*2:担当医より先に自分が徴候に気付いたくらい、普通に医者をしていても診ることの少ない疾患

*3:それが難しいケースが多いことは百も承知で書いている