Beyond the Silence

Sound of Science

野菜350gとホームドクター

id:browncapuchin さんの野菜350g記事

browncapuchin.hatenablog.com

で言及頂いたので。

 

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ミネラル (ナトリウム、カリウム、鉄、カルシウムなど)やビタミンを豊富に含む種々の野菜を1日に350g食べることは健康の秘訣である。これらの栄養素は、身体を構成する部品となったり、生命活動に必要な酵素反応の触媒として働いたりして、生物が生きていくのを助けている。カリウムとカルシウムは筋肉の収縮、神経の活動に必須の元素で、これらの異常はいわゆる心臓麻痺に繋がったりする。鉄は酸素を運ぶのに必須だし、亜鉛は味覚などの化学受容体の構成因子だ*1。ちなみに筆者の専門である聴覚は、耳の中にあるカリウムイオン濃度の異なる2種類の液の濃度勾配を利用した電気刺激である。

350gの根拠は上記記事に譲るが、それにしても350gとはかなりの量である。もちろんこれらの元素が野菜にしか含まれていないわけではないが、野菜をバランスよく摂ることが、肉 (たくさんの油脂と動物性タンパク質の塊)を食べ過ぎるよりも良いことは自明である。一汁三菜を3食バランス良く食べたとしても、意図的に野菜を多くしなければ現代人には容易には達成できない量である。ましてやパンと牛乳だけの朝食、コンビニ弁当の昼食、飲み会のおつまみや夜遅く帰宅して摂る食事には、350gどころかその半分も入っていないだろう。

 

筆者は栄養については専門外だが、このストレスフルな現代社会で、上記のような食事を続けていてはいつか身体を壊すことは自明。身体の中で栄養やミネラルを消化して利用可能な状態にすることや、過分なものを体外に排泄する機能が生物には備わっているが、それを担う主要臓器である肝臓や腎臓の働きが悪くなると生命維持が難しくなる場合もある。少し前に、透析患者は殺せ!との極端な主張で話題になった長谷川氏のブログを覚えておられる方も多いと思うが、週3回の透析 (=人工腎臓による血液の浄化)をしなければカリウム等の元素が蓄積して心停止に至ってしまう。

 

栄養は生活習慣とも関連して人生の多くを占める要素であるにもかかわらず、あまり重要視されていない気がしている。アルコール性肝障害やII型糖尿病性腎症など、生活習慣、もっといえば自堕落な生活スタイルが一因となる*2疾患に対し、現代人はもう少し注意を払ってもよいのではないだろうか。

 

 

それに関連して、タイトルの「ホームドクター」について少々。

日本にはホームドクターの制度は根付いておらず、専門科へのアクセスが極めて容易である。これも国民皆保険の恩恵と相まって、日本の医療の長所でもあるのだが、他国にみられるホームドクター制にも長所がある。

自分が留学した街でも、まずはホームドクターのもとを受診し、担当医が本当に必要と判断した場合のみ専門医を紹介され、長い待ち時間の後に受診がかなう。逆にいえば、個人もしくは家族単位の健康をひとりのホームドクターが管理できるシステムで、乳幼児検診、予防接種から健康相談まで、まるっとお任せできる。重大な病気になる前に予防もしくは治療してしまうことで、医療費を抑制している。当然ながらワクチン接種は義務であり、日本では任意接種になるワクチンも相当な種類が義務化されていて、向こうで子供がホームドクターにかかったときに7〜8種同時接種とかを経験した。州や国として予防医療の考え方が基本になっている。

科毎の医師数も人口も全く違うのでそのまま今の日本に輸入することはできないが*3、健康に関する情報が氾濫する現在、自分や家族の健康管理を請け負うジェネラリストがもっといてもいいのではないかと思う。予防医学の最前線としての「町医者」システムをつくっていくことは、年々膨れあがる医療費抑制のいち解決策かもしれない。専門家が自分の専門分野の治療に専念できるという期待も込めて。

 

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id:browncapuchinさんへのささやかすぎるお礼。先月iPhoneのカメラで撮影。

*1:実際はもっと複雑。学生のときに勉強したけど覚えきれなかった

*2:先天性の要因や個体差など様々であり必ずしも患者=悪ではない

*3:大学病院などで名前だけそれに倣って開設されたと思われる総合診療科は行き場のない不定愁訴の受け皿と化していたりする

留学帰国後の臨床と研究の両立

北米研究留学から帰国してもうすぐ1年。

日本の猛烈な暑さを体感しながら、昔からこんなに暑かったっけ?と首をかしげています。35℃超えることとか昔は稀だった気がするけど、今は連日35℃超え。午前中から熱中症警報が出て、近所の公園でも子供たちの姿を見かけない。

 

・・・

 

今日はまたニッチな話題だけど、MD, PhDの帰国後の話。医師免許を持った研究者、博士号を持った医師について、観察範囲内での姿を記しておきたい。自分が今後どうしていくかのメモも兼ねて。

MD:Medical Doctor、医師

PhD:Doctor of Philosophy、学術博士。日本の博士号とほぼ同義*1

 の違いについても向こうで感じたこと、今感じていることを書いてみたい。

 

 

海外研究留学は大きくわけて「ポスドク」と「大学院」の2パターンがあり、前者は日本で博士号もしくは医師免許を取得して海外へ、後者は学士もしくは修士まで取ってから海外で博士号を取得する。ラボがひとりの研究者を海外から雇うということは、その国の市民権を持つ研究者のポストがひとつ失われることを意味するので、その国の研究の発展に一定の期待値が持てる証拠が必要になる。多くのラボが、募集要項の資格条件にPhDもしくはMDと記載しているが、医師の研究能力は大学院で実務経験があるかどうかによって千差万別であるので*2、留学後に実験を覚えることも少なくない。そういう意味ではスタートラインからして純粋なPhDの方々とは違うわけである。

 

 

 医師の留学は、医局人事の都合で期間に一定の制約があったりするので*3、純粋なPhDの方々と比較すると研究にかける時間や期間がどうしても限られてしまう。逆にいえば、帰国後の職を心配しなくてよいという絶大なメリットがあるのだが。

自分が所属していた日本人研究者会においても、MD, PhDは全体的に年齢層が高く家族と来ていて、1〜5年程度の滞在期間。自分もそうだが2〜3年が最も多い。5年くらい研究できている人達はさすがに立派な実績を積まれているし帰国後も研究の最前線におられることが多いように思えるが、2年というのは短すぎたと今でも感じている。

一方基礎研究者の方々は単身30歳前後*4で来て心ゆくまで研究を続け、日本にポストがみつかれば帰国、もしくはそのまま長期にわたり海外での研究を続けるケースが多いように見受けられた。もちろん例外はあり、自分が出会った中で最も凄いと思った人は元々外科医で、留学先でPI*5となり、その分野での第一人者になられたのだが、そういう例は少数派である。

 

・・・

 

帰国後にどこまで研究にコミットするか。医師の場合は多くは臨床業務があるので、必然的にかけられる時間や労力に限界がある。自分で手を動かす (wetの)実験系は、負担の軽い病院に勤務し家族との時間や睡眠時間を削らないと実現不能である。ある先生は研究所が併設された9時5時の病院に勤務し、かなり高いレベルで研究を継続していて尊敬する。ただそのような、医局側から研究前提のポストを与えられるケースは本当に一握りで、普通の勤務医が20時、21時まで病院の仕事をしてから基礎研究というのは正直つらいものがある。自分の場合は幸いにして、後輩が大学院に進学して同系統の実験をやっているため、指導的役割に徐々にシフトしているところ。実験技術もどんどん新しくなるので、再び自分が第一線に立つのは難しいかもしれない。

留学時代のデータをコンピュータ上で解析する (dryの)研究は現在進行形で、睡眠時間は削られるが何とか続けることができているので*6、将来的には自分のところで大学院生を持って (向こうでいうPIとして)やっていければと考えている。

留学していた先輩や同期は上手に臨床研究にスイッチしている。医師であるところのもうひとつのメリットは臨床に直結する研究をデザインできることなので、その強みは生かさなければ損である。いくつかプランがあるので少しずつ形にしていきたい。

 

 

研究とは全く異なる分野で、人生において実現したい夢というのがもうひとつあるので、研究に捧げられる期間はあと7〜9年程度。二足のわらじでどこまでいけるかはわからないが頑張りたい。

 

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夏の盛り。まだまだ暑い日々は続く。

 

*1:取得のための難易度など国によって大きく違い、博士倍増計画なるものにより濫造された日本の博士号の価値は相対的・平均的にみると低い

*2:医師で留学する集団はPhDホルダーとそうでないものに分けられる

*3:関東や関西ならいざ知らず、地方大学ではまだまだ医局に属したほうが何かと都合が良い

*4:普通に進級すれば最速27歳で博士号が取得できる

*5:研究室主宰。教授のみがトップの日本と異なり、向こうではAssistant professor即ちfacultyになればラボを持つことができる

*6:これも留学をあと1年延長していたらとっくに論文になっているだろうけど・・・