Beyond the Silence

Sound of Science

勤務医の悲哀

さてさて。

 

急性期病院勤務医として、やや周回遅れではあるけれどもTwitterを中心に紛糾している無給医問題について触れてみる。

弁護士のあらきん先生がこの問題に取り組んで下さっています。

 

 

医療は国が価格を設定しているので、病院の財源は無尽蔵ではない。

全ての医療行為には「保険点数」というのが設定してあり、例えば耳鼻咽喉科外来での耳処置 (耳垢除去、軟膏塗布、洗浄など)は25点だ*1

1点=10円なので、耳処置は250円。多くの患者はその3割である75円を会計時に (診察料や処方箋料に追加で)支払う。

この保険点数は厚労省が決めており、医療費削減のお題目に従って改正 (改悪?)され続けている。例えば、総合病院の耳鼻咽喉科外来ではその25点は診察料の70点に含むこととされ、別途算出ができなくなった。

 

医療は営利事業ではないので、医業によって儲けを出すことがこの保険点数などによって厳しく規制されている。美容整形やがん免疫療法などは自由診療としてその枠から外れ、莫大な利益を出すことが可能になっている。

 

話は逸れるが、入院費は多くの病院で「DPC化」されていて、手術や癌治療のために入院した日数にある係数をかけて総額を算定しており、その枠の中で行った医療行為によらず定額である。なので、入院中の余分な検査等は全て病院側の持ち出しである。

例えば骨折治療で入院して目や耳のことを診て貰おうと思ったときに、「今回の入院ではちょっとその検査はできません・・・」などという説明を担当医から聞いたことのある方も多いのではないだろうか。

 病院によって様々な役割があり、お役所から認定されることによってわずかにDPC係数に傾斜がついている。重症患者の診療、看護師の配置、救急医療・地域医療への貢献、研修医の教育など様々な評価項目を達成すると係数の高い病院群への振り分けがなされるため、病院のトップは少ない駒 (勤務医)をひたすら働かせることで利益を出していくことになる。

経営戦略に長けた病院は、どうにか黒字を達成できる。逆に言えば、ほとんどの大学病院や多くの公立病院は、補助金などで辛うじて生き延びている状態だ。

 

無給医の問題を考えるには、この「病院にカネがない」という状況への理解が必要だと思う。無給医の多くは大学病院に属し、臨床大学院、もしくは医員という形で使役されている。大学病院はある意味臨床の最後の砦なので、救命のために採算度外視した高度な医療も行っていく必要があること、教育機関でもあるのでスタッフが市中病院よりも相当多いことから、病院の経営は真っ赤っかであることが多い。

 

なので、こんなことになったりする。

 

看護師なんかは組合の強力な交渉力で、超勤が正確に算定されるので、師長は看護師を早く帰らせるインセンティブが働く。

却って病棟の医師は時給0〜300円くらいなので、最も安い労働力として使い潰されるという構図。

昔は、その辛い時期を乗り越えれば外の高給な病院に派遣されたり留学できたり、教授への出世コースに乗れたりなど、メリットもあったので耐えられた低待遇。2年間の臨床研修が義務化された頃の世代から、働くことに対する考え方が時代とともに変わってきて、大学で出世したい一部の医師を除きメリットが皆無になった。

 

自分の所属する医局では、少なくともここ10年以上、無給医は存在していない。大学院で研究をしたい医師には、4年間の博士課程の自由時間が与えられた。だが、大学院のラボで同窓となった他科の医師達の中には4年中2年間は臨床医として (大学院の学費を払いながら!)労役する義務が課せられていた。2年間で結果出せって無理ですよ。無給なので生活費は当直のバイトなどで稼ぐことになり、さらに研究に費やせる時間は減る。

 

なので無給医問題は、科・医局の風土によるところが大きく、長年の伝統が新しい考え方に駆逐されないと改善していかないのかもしれない。ただ、その根底には病院にカネがない問題があることは間違いなく、百歩譲って大学院で臨床労役する2年間があったとしてもそこに正当な給与が支払われてほしい。

医療費が高騰している今、財源なき改革は不可能。世界に誇るべきフリーアクセス低コスト医療の限界がもうそこまできている。この国はどうやってこの問題に向き合うのか?

 


 

*1:高等技術を持つ熟練の医師の手技も、研修医終わりたての新米医師の手技も同じ点数・・・