先日、研究所内のNeuroscienceのセミナーで、臨床のボスが人工内耳の話をしていた。聴覚障害の概説のところで示された一文が印象に残ったので、こちらでも紹介したい。
Blindness separates people from things, hearing loss separates people from people.
聴覚障害を一言でいうならばコミュニケーション障害、であろう。奇しくも最近、ヤフーの特集にこんな記事が出ていた。
(ヤフーIDか何かでログインしないと読めません)。
news.yahoo.co.jp
聴覚障害はコミュニケーション障害である、というのは自身の経験と難聴の臨床をやってきた上での持論で、この記事に自分にとって何か新しいことが書いてあるわけではない。が、矮小なる自分の言葉よりはヤフーの記事のほうが万人に届くだろう。本文はログインしないと読めない謎仕様なので、一部引用しつつ考察してみたい。
「音」がない世界を想像してほしい。例えば、職場。同僚たちが何かを話し合っている。上司が目の前で何かを告げている。しかし、身振り手振りや動く口元は見えても、音はない。周囲のざわめきも聞こえない――。そんな世界にいたら、周りの人々とコミュニケーションをどう進めればいいのだろうか。
こんな導入で始まる。最初に書いておきたいのだが、聴覚障害といってもその程度は千差万別で、全く聴こえない人、人工内耳や補聴器を使ってどうにか聴き取れる人、ちょっと耳が遠い気がする人。様々である*1。統計方法にもよるが未成年の難聴者が6%、高齢者だと半数を占める。あなたのクラスメイトや仕事仲間、囲碁仲間が実は難聴、ということは大いにあり得る。程度が軽かったり片耳正常だったり外から見えにくい補聴器をつけていたりすると気づかれにくいけれども。
上記の記事は、いわゆる聾者のコミュニティの話。聾は両耳が全く聴こえないことを指し、対処法によって二つの世界に分かれるーーそう、分断されている。一つは、人工内耳を装用して (つまり医療の介入を受け入れて)生きていくことを選んだグループで、もう一つは手話を中心とした聾者のコミュニティ。もちろんこれらの中間的なポジションの人もたくさんいるが、乱暴に分けるとそういうことになる。
自分は医学的に聾者に介入する立場、つまり聾者の「聴力」を健聴者に近づけようとするのが仕事だったし、それが本人や家族にとっても周囲にとってもベストだと信じている一方、手話コミュニティはややもすると医療 (この場合は人工内耳)に対し否定的な側面もある。聴こえないことこそが彼らのアイデンティティであるので、それはそれとして尊重しなければならない。
中等度〜高度難聴者である自分にとって手話の世界は未知の領域で、医療者として俯瞰したこれらの現状以外に語る言葉を持たない。なので、元記事から少し逸脱するが、難聴の一般論として述べたい。そのせいで話が複雑になるがご容赦願いたい。
聴覚障害はコミュニケーション障害の一因となる
コミュ障、というネットスラングが生まれたのはここ数年の話だろうか。以前からSocial anxiety disorder, いわゆる社会不安障害という概念はあったようだが、それがこの数年で、コミュニケーション障害という疾患概念として広く認知されるようになった。実際には幅広いグレーゾーンがあり、様々な程度がある。飲み会の席が苦手とか、女の子とうまく話せないとかもその一種かも。
しかしながらコミュニケーションは訓練によってそのスキルを向上させることが可能な「技術」でもある。ではどうやって訓練するか?
オギャアと生まれてから、人は皆誰かと交わって生きている。家庭、学校、地域、会社…。その全てがコミュニケーションの訓練である。というのは当たり前の話だが、それが当たり前でない人々が難聴者。
課長から正式に閉鎖を知らされる少し前、いつも自分を気に掛けてくれていた社員が紙で「閉鎖」を知らせてくれたという。
「そうなんだ、閉鎖なんだ。人が辞めていくのは閉鎖のせいだったんだって(初めて理解した)。僕はそれで知ったんです。(閉鎖を教えてくれたのは)健常者です。教えてくれてありがたかった」「(同僚の)女性たちは、いっぱい噂をしていたみたい。(その会話を理解できない自分は)蚊帳の外でした」
先天性の場合は幼少時からずっとこの状態が続く。
近くで友達が話す声、何気ない雑談、学校の授業、テレビのドラマやバラエティーの台詞。程度の差こそあれ、難聴者はこういう情報から隔離されたところにいる。断片的には聞こえても全容をつかめない。たまに、もしかしたら自分のことを悪く言っているのかという疑心暗鬼にも陥る。冒頭に挙げた一文にもあるように、視力障害とはまた違った辛さがあることが理解できるだろうか。
幼少期から本来得るはずの経験値がかなり制限された状態で、難聴者は成人して社会に出て行く。縛りプレイで大魔王に挑むようなものだ。
難聴者がコミュ障にならないための処方箋
1.文明の利器の力を借りる。
・補聴器
・人工内耳
・その他の聴覚支援機器*2
・(記事にあるような) キャプションソフトウェア
2.周囲の人々の理解
まず後天性難聴や大人の話から。
これは結構大変。自分じゃなくて周りの人が。難聴の程度によるけどまず上記1をやって、その上で理解を求めるのが筋。
難聴の外来をやっていて比較的よく出会うケースが、本人は難聴だけど困っていなくて家族が困っているが、ワシはそんなに老いぼれとらん!とか言って何もしたがらない人。何をしに耳鼻科に来ているのかな、と思うが、本当にある。ひどいケースになると奥さんが声帯ポリープ*3。
子供や先天難聴の場合は、親の考え方次第なところがある。聾学校から手話コミュニティへ進む場合も (昔ほどではないが)あるだろうし、医学的に介入する場合は新生児聴覚スクリーニングで引っかかって受診となるケースが多い。難聴が確定したら*4、なるべく早く補聴器で聴覚情報を脳に入れることが大事で、その考え方から人工内耳も1歳 (場合によってはもっと早く)から入れられるようになった*5。
補聴器や人工内耳をしているとからかわれるとか恥ずかしいとかあるかもしれない。それは子供をとりまく環境によるところも大きいが、それを乗り越えて身につけられるもの、拓ける未来があると思うので、よく親子や学校と話し合って奨めていくようにしたい。自分のように思春期を半ば棒に振ることのないように*6。
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3.難聴者であることにあぐらをかかない
主語を「障害者」に言い換えても良い。これは程度によるが、自戒を込めて。
誰かが助けてくれるということを当たり前だと思わずに、あくまでも主体的に動く気概を持ちたい。心が折れることはしょっちゅうあるが、しなやかに。2.と3.は表裏一体なので、そのあたりの呼吸が合うパートナーを見つけるのがbest.
またとりとめなく書いてしまった。書き始めてから数日かかっているので、まとまりのない文章になってしまっているが、とりあえず投下して気付き次第推敲していきます。
iPhoneのカメラ。新芽にピントが合わなかった。体感気温3℃だけど気分はもう春。
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